2006年10月13日

パット・メセニー/ファースト・サークル

浴室のカビ落としに、冊子の埃取り。
キッチンの油取りに、床雑巾。
今日は一日中家事に明け暮れた。

無音で掃除もなんだし、FMは深夜で無い限りまともな音楽がかからない。また長時間DJの声を聞かされるのも五月蠅くて・・・、そんな日はメセニーを聴く事が多いです。タイトル曲がしっとりしていて耳障りも良好。メセニーはソロでもグループでも作品毎に驚く事も無く、逆に落胆する事も無いので、何も考えたくない時や、家事を淡々とこなす時など、BGMとしては安心して流しておけます。

2006年10月12日

アストル・ピアソラ/タンゴ ゼロ アワー

場面場面で力が入りすぎている感じもありますが、頭から尻まで非の打ち所が無く圧倒的な熱情のまま50分が経過します。
仕事しながらとか、洗濯しながらとか、所謂“ナガラ”では聴けないものがあります。一度再生スイッチを押してしまうと突如音塊に浚われ、ジャバラの溝から這い上がれなくなるのです。
それがキップ・ハンラハン プロデュース、ピアソラ生涯渾身の作品です。

2006年10月4日

Amon Duul [Airs On A Shoestring]

Amon Duul [Airs On A Shoestring]今部屋ではアモン・デュールの『Airs on a Shoestring (Best of...)』の3曲目に収録されている「One Moments Anger is Two Pints of Blood」が流れている。 全体的に決して明るいトーンでは無い12分半に及ぶこの曲は僕にとってとても重要なウェイトを占めている。 その理由を挙げれば切りが無いのだが否定的な見解から挙げると、 まず僕は俗に言うディストーション効かったギターの音色があまり好きではない。 つまりその手法があまりにも安易な気がしてならないのだ。 今日ギターを操る諸子はその手の音はチャーリー・クリスチャンやB.B・キング、ジミヘン、そしてクラプトンなどで極みに達している事に気づいていながら、 いや、気付いているが故に、当たり前の音として浸透仕切っているが故に、安易にその方法に身を任せるしか無いのかもしれない。 しかし、それはとても危険な事である。なぜならそこで一つのクリエーションを破棄しているに他ならないからだ。 新しい曲であれ、新しい音であれ、某かを創造しようとするのであれば、本来そのディストーション・サウンドさえ根本から見直して行くべきではないのか?

話を戻すと僕がジャーマン・ロックを好むのはそういった点で個々人のモチベーションが高い気がするのだ。 今名のある独ミュージシャンの大凡(おおよそ)が現代音楽から影響を受けたり、もしくはインスパイアされている時点で大きく異極化するのだろうが、 それにしても皆盆百のロック・ミュージシャンで無いことは音を聴けばわかるし、説得力もある。

更に続けると、僕の場合のクリエーションとはそもそも普通にポップスを好む人にも理解が及ぶ範囲で提示しなければ意味が無いと考えている。 散々云われ尽くされた見解であるが、やはり方法論ありきの音楽はもはや音楽ではない。つまり音を楽しむ対象ではないという事だ。 方法論ばかり先行させるインテリ坊ちゃんが奏でる音世界はこと何の説得力も感じないし持っているとも思えない。 また、どう能書きを垂れようが聴き手としては一瞬の解釈で終わってしまう。“一瞬の解釈”とは恐ろしいものでそれに値する音に積極的に参加させる機会を与える。そんなリレーションが延々繰り返されるのである。その大凡は半端な理解であることは云うまでもない。猫も杓子もミュージシャン、一億総音楽家。実に戯けた話である。 心には残らないのだ。 思惑として非常に能動的に音楽に参加させようとしているのかもしれないが、遙かに受動的に成らざるを得ない楽曲形態。 そんなのは波形の研究者としてでも生活していって頂きたい。たまたま音を扱うから音楽を演る、という面は辞めて戴きたい。 結局、方法論やマテリアルなんてご託を並べること自体「音楽」の上ではクソの役にも立ちゃしないのだから。やればいい、やればいいのだ。

2006年10月3日

Anthony Braxton / Richard Teitelbaum [Silence/Time Zones]

STAX SRM-300リチャード・タイテルバウムとアンソニー・ブラクストンの共演盤です。
「Time Zones」だけはレコードで持っているんですが「with Anthony Braxton」という形で、Teitelbaum名義のアルバムになってます。しかし、これはAnthony Braxtonが看板。知名度から云っても、この方がいいのかな?。

2006年10月1日

I POOH [Un Po'del Nostro Tempo Migliore]

イ・プーイ・プーの集大成的アルバム、邦題『ロマン組曲』
アイドルとして見られがちだったプーを、本格的なロック・グループへと押し上げた通算6作目。 クラシカルな要素を効果的に取り入れ、 至福のメロディを効果的に聴かせる中世と現代をつなぐかのような完成度の高い作品。

2006年5月11日

浅川マキさんに再熱

夕刻より新宿にて食事、靖国通り沿いの地下の店。古民家風でいいかんじ。焼酎メインのいいお店
浅川マキさんの二枚組CDを三組まとめ買い、DVDも買ってしまった。
個人的に再熱の気運高まっている模様。

2006年4月28日

武満徹 「Visions in Time」 at ART GARRELY

午後から初台は東京オペラシティーにある某社にて半日出向作業を行う。内容はさしたることもなく、こともなげに終了。わざわざ事務所を空にしてまで行く意味があったのかも疑問に残るが、お客さんの絶対的意向なので文句も云えない。

気分転換を兼ね、建物内をぶらぶらしていたらART GARRELYで「武満徹」の展示をおこなっていたのを知り、早速おじゃますることにした。
平日の夕刻、飯時前、さすがに観覧者もまばらであり、気持ちがいい。

実験工房周りからはじまり、ジャスパー・ジョーンズやミロ、イサム・ノグチの展示、そして武満自身のグラフィックスコアと続く。バロンの「閉じた眼」、宇佐見圭司の絵を観ることが出来たのは非情にうれしい。そのほか、ホアン・ミロやの展示物は昨年世田谷美術館でおこなわれていた「瀧口修三」展と同じものが多い。

あらためて感じることは実験工房の異色性だ。詩人、歌人、画家連なる名前ひとつひとつみても、各人が一つの肩書き収まるような人物ではないことが分かる。これも特異性を表すなんとやら。